|
アドラー Kfz 13は、第二次世界大戦前に採用されたドイツ国防軍の装甲偵察車である。制式名称はMaschinengewehrkraftwagen (kfz 13) =機関銃車13型。 == 概要 == ドイツは再軍備のために、1929年から偵察用の4輪軽装甲車の開発を始め、完成したそれは1932年にKfz 13の名で量産が開始された。 当時の技術や予算の関係上、専用の物ではなく民間の乗用車であるアドラー社のスタンダード6シリーズ12N-RWのシャーシが用いられ、これを5mm厚の装甲板で補強、車体構造物を8mm厚の装甲板溶接組みで構成した。しかし車体前方の機関部正面のラジエターは格子状の装甲で守られていたが、点検用に開口する側面と上面は非装甲であった。 戦闘室はオープントップ構造で、Kfz 13には当初7.92mm MG13軽機関銃、後にMG34機関銃が小型防盾付きで搭載されていた。また乗員用の副武装として9mm エルマEMP、後にMP38が車内に装備されていた。乗員は操縦手と搭載機銃を扱う車長の2名のみであったが、臨時に後部に数名を乗せることもできた。 本車は60hpのガソリンエンジンで路上最大速度60km/hを発揮したが、もとが民間用の後輪駆動のみの4×2シャーシであり、オフロード性能は望むべくもなかった。これは無線器を搭載したバリエーションであるKfz 14も同様であり、このためより本格的な軍用4輪駆動シャーシを使用するSd Kfz 221~Sd Kfz 223が開発され、1938年から装備の更新が始まっている。 kfz 13の生産は2年間に147輌で、機械化捜索大隊に配備された。1935年、より本格的な4輪装甲車であるSd.Kfz.221、223が登場すると補助車輌に格下げされ、さらに未機械化師団の偵察部隊に払い下げられたが、第二次世界大戦開始時のポーランド侵攻には相当数が実戦投入された。その後は後方警戒任務や予備役にまわされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Kfz 13」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|